葬儀を通して感じたこと、考えたこと

有名人と無名人の葬儀や供養

先日イングランド中部の街の駐車場の地下から、小さな墓に不自然な格好で押し込められたイングランド王リチャード三世の遺骨が発掘されました。歴史に名を残す人生を生きた人物でも、盛大な葬儀をされて後年まで心のこもった供養を受けられるとは限りません。エジプトの王墓のように泥棒に墓を荒らされたり、戦争や革命などで墓が破壊されて遺体の所在が不明になったり、生前の栄光が引き続き死後の扱いに反映されていない歴史上の人物もいます。特に生前は貧しく死後にようやく実績が認められたようなケースでは葬儀もささやかだったことでしょう。日本でも豊臣秀吉公が葬られた神社が徳川家に破壊されて長い間庶民の参拝も許されませんでした。

手厚く葬られてはいても、あまり安らかに眠っている印象を受けない王族や有名人もいます。たとえば歴史のある壮大な教会の床に立ったまま埋葬されている人々です。四六時中世界各国からやって来た大勢の観光客達が遺体の上を遠慮なく歩き回ります。このような埋葬の形態は日本では考えられないでしょう。宗教観や死に対する捉え方の違いのせいでしょうか。逆に無名の人物でも子孫に○○家先祖など祖霊として長い年月手厚く供養をされている人々もいます。ご先祖様という一つの存在にひと括りにされるので個人としての存在は消えてしまいますが、子孫が続く限りちゃんと供養を受けられる可能性が高いのです。祖霊崇拝の習慣がない国もあるそうなので、日本の無名の人々は幸運ですね。

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